福沢が慶応大学の創始者であることは誰もが知っている。
勝海舟と咸臨丸でアメリカに渡航した際、
自由と言う言葉を発案した人物であることも知られている。
しかし、福沢は何藩の出身であったか・・・意外に誰も知らない。
実は九州にあった中津藩の出身だ。
じゃ、中津藩とはどんな藩だったかと聞かれたらこれも、殆どが知らないい。
今は大分県にあって元々は中津藩→中津県→小倉県の一部→福岡県の一部となって
後に大分県に編入された。
歴史的に見ると最初は黒田官兵衛が治めて、次が細川家、
その次が武田信玄に追放された長野県松本にいた信濃守護の小笠原家の末裔で、
最後が奥平家となり、結構、そうそうたる家が治めてる。
そしてその中津藩、実は西南戦争で西郷軍についているのだ。
歴史的に見ても面白い。
そして福沢諭吉だが、実は生まれは中津藩のあった大分県ではなく、大阪。
大阪の中津藩蔵屋敷で福沢百助の子供として生まれている。
この人物、実に進歩的なのだが、語られてる人物と実像はかなり違う。
実は幕末当時、剣豪と知られ、維新後、政府役人の中で、誰が幕末に一番強かったかと追う話題では、
満場一致で福沢諭吉を置いてないというほど強かったらしい。
剣豪と、自由主義者であることは別に矛盾もしないのだが
この福沢が大久保に対して西郷を殺したのは間違いだと断じている。
「今西郷氏は政府に抗するに武力を用いたる者にて、
余輩の考とは少しく趣を珠にする処あれども
結局其の精神に至ては間然すべきものなし」
「そもそも西郷は生涯に政府の顛覆(てんぷく)を企てること、二度にして、
初には成りて、後には敗したる者也」
「西郷は天下の人物也。日本狭しと雖も、国法厳なりと雖も、
豈一人を容るるに余地無からんや」
どういうことかと言えば、政治は腐敗するもので、その腐敗を西郷は一度は破り
二度目は敗れなかったけれど、新政権に対し叛旗を翻したといって
あれほどの人物を生かす方法が無かったのか・・・となじっているのだ。
さらに西郷の抵抗精神を評価し、西郷が叛旗を翻した途端、西郷批判に転じた新聞に対し
「新聞記者は政府の飼犬に似たり」と強烈な批判をしてる。
この辺も福沢の人間性が垣間見られて面白い。今の新聞屋に聞かせたいくらいだ。
門閥制度は親の敵で御座る・・・とか、これは下級役人として有能な父が冷遇されたことに
関係があるのだろうが、意外にに人間臭い一面を見せると思えば
「人倫の大本(おおもと)は夫婦なり」などと夫婦の重要性を説いている。
幕末唯一の剣豪で、立ち陰流居合いの免許皆伝。
ところが切り合いは一度もしたことが無く、要領もよい。
維新前に4回も海外に出かけているのは福沢を置いて他には一人もいない。
人に引き立てられる一面もあったのだろう。
武士が大好きで、征韓論に賛成するくらいだから韓国大嫌い。
自由を歌いながら、差別主義者で、武士が一番えらいと思っていて
公職に町民は入れたがらなかったそうだ。
一方で反骨精神、抵抗精神が旺盛で、男女差別につながる一夫多妻制を嫌い
女権推進にも努めていたらしい。
今では1万円札に肖像が描かれるほどの、進歩は穏健派のイメージで
日本人の鑑のように、持ち上げられてるけれど、。
偉人であることは疑う余地もないけれど、
知れば知るほど。退屈な偉人ではないようだ。
ちょっと、好きになったなぁ・・・・
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